本の紹介「生活の記録」/如月小史
詩人如月こと関根智三郎が成東の自宅で作り上げた本が「生活の記録」(昭和25年清流堂書房/非売品)である。太平洋戦争の戦況が刻々と変化していく中での日々の出来事を日記形式で描いたもので、満員の九十九里軌道に乗って東金駅に到着すると歌を歌って出征兵士を見送る子供たちの姿や、友人に頼まれて少年望遠鏡を売りに東金の町に赴き店主らと商談する会話など、作品は70年も昔の東金成東九十九里界隈の暮らしを垣間見ることができる、いまや貴重な資料にもなっている。
アマチュアながら印刷の技術を持っていたために地域の詩人作家らと付き合いがあったらしく、中西月華ら八名で濤聲會という詩作の会を作り八鶴湖畔へ吟行した際の歌句が掲載されていたり、古泉千樫の作風を評したり当地の詩壇文壇のようすも伺うことができて面白い。月華が如月を親友と呼んでこの「生活の記録」に言及する文を見つけ、各地の図書館を探し歩いた。東金図書館にあることが分かりさっそく尋ねてみたが、借りる人もなくずっと埋もれていたらしく探し出すのに一苦労した様子だった。やっと見つかった一冊は最終頁奥付の脇に手書きで「25.12.20寄贈」と書かれていた。(宮原)
一寸だけ紹介しよう。≪「生活の記録(41~42頁)」一部漢字を現代のものに置き換えています≫
十二月八日。ハレ。米英へ宣戦布告した由、ラジオで放送ありしと。同九日。新聞には戦果につき、大々的報道、満載されあり。
十二月廿七日。はれ。ホンコン陥落す。「大英国の一角崩る」の見出しにて、新聞紙に報道さる。
昭和十七年1月6日。ハレ。前の田は、氷が一面にはりつめて、霜が真白だ。風なく暖かい日和。
二月五日。はれ。あたゝかな日。求名の戸田叔父さん、もちを持つてきてくれる。五円五十銭、子供達頂く。土産にサケの粕漬、小魚の佃煮、海苔のカン詰、青のりなどあげる。
同十五日。ゆき後はれ。午後月華さんと、三殊居の句会に行く。三殊さん、古式による茶の湯をたてゝ、御ちそうしてくれる。九浦、謙一兩君も来会す。
お茶の湯を沸かす書院や春の雪
笹の雪こぼるゝ音や春の雪
松の幹軒端に見つゝ春の雪
春の雪ひそと音なし大藁屋
竹やぶの下かげ斑に春のゆき
披講採点の結果、七点を得て、私が今日は最高点であった。薄暮帰宅。
同十六日。曇。十五日午後十時、シンガポール陥落、マレー軍総司令官バーシバル中将は、わが最高司令官山本奉文中将と、プキ・テマ高地のフォード会社跡にて会見した。
同十七日。はれ。まるで春のようなあたゝかさだ。薪を買いに大岩製作所へ行く。ここでいつも不思議に、一人のヨボヨボ爺さんと一緒になる。この爺さんが二三日前、湖月堂で「食パンありますか」ときいて居たり、昨日は末廣商店で、たくあんをおけから、つかみ出したり、入れたりをくりかえして居たが、とうとう買わずに帰っていつた。今日はパイプをくわえながら、往来をうろうろしているのを見た。草履のようにすりへらされたげた、甲羅ばかりで、底無の足袋、あか光りするボロ外とうに、ボロづぼん、そして凡そふつりあいに見える、前歯数本の金入歯がサン然と光つている。
同廿日。はれ、西風が吹いて、寒い日だった。私達がニックネームを「しゅう長」と呼んで、親しくして居た、近所の爺さんが死んだ。月華さん、寒風をついて蓮沼に行くとて一寸立ち寄らる。
三月五日。雨。今朝、空しゅう警報あり、空しゅう地は福島県地方。夜警戒管制。
同八日。はれ。月華さんのお世話でT子本日より片貝漁業會へ出勤。
同十一日。お天気よく、あたゝかし。午前中米を買いに行く。一斗四円四十銭。蘭印無条件降伏。
同十二日。はれ。茶村さん訪問、就職記念にとて、T子にアルマイト製の弁当箱をいただく。お礼のしるしに、ノリかん二ケ贈る。