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「東金の~名物は~」・・お馴染みの東金大津絵の一節に「北村甚左エ門の蟻の塔」と出てくる。
昭和13年に再版された東金町誌には「寛政年中、字新宿北村甚左エ門なる者の土蔵内に蟻の垤成り其高さ五尺餘、初め之を秘蔵し置きしも、天保年間に至り、之を一般に観覧せしむ。来館者頗る多く、明治年間に至りこの土蔵破壊して今は其の形骸なし」とある。
上は、東金名物、「蟻の塔」について詳細に記した、当時のパンフレットのようなものである。
いったい何と書いてあるのか、一部を現代語訳で一部を紹介してみよう。
聞いてもよく分からない、歌詞を読んでも良く分かりません。
「北村甚左衛門の蟻の塔」って何?そもそも、この唄は?‥たまには引っ張り出して調べてみないと、この町の歴史が現代の人が誰も知らない古代遺跡のようになってしまわないかと、ちょっと心配。
※曲は東金民謡発表会(昭和60年)より、植松氏(岩崎)より提供
琴平神社なる社が、八鶴湖畔の谷児童公園付近にあったそうです。ところが、いまはその跡形もなく、地元の郷土史愛好者に尋ねても殆ど知る人がいません。東金町誌(昭和12年再版)には、
「毎月十日遠江よりの参拝者多く社前市を為すに至る。縁日は春四月十日秋十一月十日の二季に大祭を執行す」とあります。
写真は多田屋書店の絵はがき「東金名所」シリーズ
いったい、あの立派な石段、社殿はどこへ行った?
ネットで探しても見つかりません。
地元の人もあまり知らない、ミステリーです。