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撮影:写真家 森 時尚
市街を挟んで鴇が嶺と向き合うような堂々とした佇まい。
それまであった中学校をひとつに統合し誕生した学校は、
ひと学年500人を越すマンモス校になった。
各所に取り入れられた丸く大きな窓、
宙に浮かんだ図書館と連絡通路、モダンで力強い意匠。
理科室、家庭科室、技術室、音楽室、トイレの天井・壁にいたる
ディテールのこだわり。
写真で初めて建物を目にした人は
これが中学校であることに驚くことだろう。
サンルームのような明るい廊下からは、
この町の発展と歴史を同時に一望することができる。
『作るのであれば日本一の教育施設にしよう。』
校舎だけではない。
6.6ヘクタールの敷地内、体育館やプール、グランドまで、
当時学校は地域のたくさんの人々の寄付と流した汗の結晶であり、
まさに人々を一丸にした統合の象徴でもあった。
無人となった校舎は、いまでも往時の意気込みが随所に残っていて、
建物はその輝きを失っていない。
時間が流れ、既にここから15,000人もの卒業生を送り出してきた。
かつて東洋一と謳われた校舎が静かにその役目を終え、惜別の時を待っている。
作詞:斎藤信夫、作曲:海沼 実、唄:川田正子
1 月夜の 田んぼで コロロコロロ |
山武市文化会館「のぎくプラザ」の入口広場に上野弘道氏の作による笛をもった少女のブロンズ像が建っています。その少女の足元に二匹のカエルがいます。そういえば、会館の外壁面のレリーフもカエルがサックスのような楽器を吹いている様子です。どうしてカエル?と思いながら辺りを見まわすと、地元が生んだ作詞家として知られる斎藤信夫の歌碑を発見しました。斎藤と言えば童謡「里の秋」が有名ですが、もうひとつ大ヒットした童謡があります。それがこの『蛙の笛』なのだそうです。
斎藤は戦時中小学校の教員をしながら童謡の作詞をしていました。終戦を迎えると、自分が子供たちに「お国のために尽くせ」式の皇国教育をしきた過ちを悔いて教員を辞めました。しかし新たな就職先が見つかりません。
ある夜更け、来し方行く末を想い寝付けずいると、『コロコロ コロコロコロ』と、冬眠から目がさめたばかりの蛙の声が聞こえてきました。それが、悶々としてやるせない胸には『ガンバレヨ ガンバレヨ』と聞こえてくる。ふと自然にひとつの詩がうかんできました。
斎藤がこれを書き留めた詩を送ったのは「里の秋」の制作を通じて親しくなった作曲家・海沼実でした。こうしてで『蛙の笛』ができあがり、昭和21年8月、当時の国民的歌手・川田正子によって歌われ、NHKラジオで初放送されました。前年暮れに「里の秋」を大ヒットさせた作詞・作曲・歌手の組み合わせの新曲は、シンプルでメルヘンチックな歌詞と味わい深いメロディですぐにたいへんな人気となり、振り付けも考えられ、幼稚園や小学校の学芸会などで演じられました。
ちなみに歌に歌われているコロロコロコロと鳴く蛙は、ネットで調べてみると、シュレーゲルアオガエルだという意見が多く、残念ながら現在は千葉県の準絶滅危惧種に指定されています。